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競走馬の病気や、知られていない実体などを紹介。
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競走馬には、負け癖という変な癖があるといいます。

この癖にかかった競走馬は、惜しいとこまで行くが、なかなか勝てないようになるそうです。

本当にそんなことがあるかどうかは、謎ですが、私が地方競馬の厩務員だった頃、自分の担当馬にこの負け癖が付いたとしか言いようの無い牝馬がいました。

私は、トータルで五年間その馬の管理をしてきました。

彼女との出会いは、私が厩舎に入りたての頃、厩舎にきた若馬でした。

新人厩務員というのは、扱いの容易な、おとなしい古馬をあてがわれるもので、当時、早く若馬をやらせてもらえるようになりたいと思っていたものでした。

そんな時に調教師の「やってみるか?」はとてもうれしく、二つ返事でお願いしました。

初めての若馬に、有頂天の私の気持ちとは裏腹に、レースで度重なる失態、調教師の「まけぐせやなぁ~」の一言は、大きなショックを受けました。

こんなはずじゃなかった。レースに勝てない苛立ちと悔しさ、そして若馬特有の扱い難さがあいまって、未熟だった私は、彼女に当り散らしました。

あまりのセッカンが続いたためか、ある時から彼女は、一切の食事を受け付けなくなります。

とうとう根負けした私は、彼女に当たるのをやめにしました。考えてみれば、競走馬とはいえ人にすれば小学生かそこらの年代、私以外に、頼るものも無いこんな彼女に、なんてひどいことをしたのだろうと、自分が恥ずかしくなりました。

それからのわたしは、彼女を馬としてではなく、パートナーとして接するように心がけました。いや、自然とそれが出来ました。

そのことが彼女にも伝わったのか、あの日以来細くなっていた食欲も徐々に回復し、それにともない走りもよくなってきました。

あいかわらず、私の言うことは聞いてくれませんでしたが、今までとは確実に何かが違っていました。

そしてデビューから二年後のレースの日、とうとう私と彼女は初勝利したのです。

あの日のことは、今でも忘れません。鮮明に覚えています。それまでに他の担当馬で、何度も勝利はしていましたが、こんなに嬉しいことはありませんでした。

わたしは泣きました。人目もはばからず大泣きに泣きました。「男は人前では泣かない。」これが私のポリシーでしたが、そんなちっぽけなポリシーなど、もうどうでも良かったのです。

レース後の手入れが終わっても涙の止まらない私に、彼女は頬をすり寄せてきます。この時、私は彼女との間に、愛情と信頼という絆が出来たのを強く確信しました。

それからの私たちは破竹の勢いで勝利を重ねていきました。私は、彼女を誰にも触らせないほど愛してました。

しかしある日、私はささいなことが原因で、厩舎を去ることになりました。その厩舎に見切りをつけた私ですが、彼女にことは正直心残りでした。しかし、その時すでに7歳の彼女は、以前のような気の悪さも無い、おとなしい馬になっていたので、他の人に彼女を託し、その厩舎を去りました。

それから二ヵ月後、彼女も厩舎を去りました。

その後の彼女の行き先など、詳しいことは聞いていません。聞くのが怖かったのです。

彼女は、アングロアラブでした。マイナーな種であるアングロアラブの引退後の行き先は、厩務員であった私が良く知っています。決して繁殖にあがることも無く、運が良くて乗馬クラブ、悪ければ・・・。

あれから二年、最近やっと、彼女のことを調べてみようかと思っています。・・・出来ればもう一度会って彼女に謝りたいのです。

突然出て行ったことを。

 

 

 

 

 

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